ごく当たり前のこと


高校の時の倫理や政治経済の教科書を読み返してみるとおもしろい。


まずわかり易い。
わざわざ用語の注釈があったり、コラムみたいなのがあったり。
そしてその本質的内容ゆえ目から鱗、もしくは現実とのギャップを感じたりもする。



政治経済の政治パートの一番はじめの「人間と社会」「国家と政治」。
ちょっと長いけど引用。

社会の構成員としての個人は、性・年齢・職業・宗教などの違いに
よって考え方が異なり、時には利害が激しく対立することもある。


また個人的な対立だけでなく、所属する集団や階層・地域の違いによって、
国内の物価・住宅・交通・福祉の問題をはじめ、国際的な貿易・外交の
あり方に至るまで利害や意見の対立は広範囲にわたる。


そこで人々が安定した暮らしを保っていくためには、これら複雑な
社会的対立を調整して社会の秩序を維持していかなくてはならない。


社会生活を一定の秩序にしたがって運営していくために、
人々は国家という統治組織を作った。


今日では、全ての人々がいずれかの国家に属し、
その組織の中で共同生活を営んでいる。
しかし、同じ国民であっても、個々の人々が求める幸福の内容は
必ずしも一様ではなく、その実現方法も一定してはいない。


従って、人々が国家に求める機能は、国家がまず国民の多数の
意思を代行して、このような共同生活から生じる利害関係を調整し、
いろいろな紛争を解決し、外敵の侵入を防衛して、
社会生活の秩序を維持することである。


そのような国家の活動が政治と呼ばれるものに他ならない。

                             第一学習社 高等学校 政治経済 





はて政治家って政治をしているんだろうか。
借金まみれの財政を論じあうべき時に公金を私的な事務所費に使ってたのはけしからんとか。
人間を機械だなんていう人と同じ席につきたくないわとか、
領収書はやっぱ1円からがいいんじゃないのかとかとか。


ちゃんとやってるところもあるんだろうけど
最近の政治ニュース見てると芸能ニュースに見えてもおかしくはないことが多々有る。
しっかりしてくれよといいたくなる。


でも逆に僕らの側も為政者に対するつっこみどころや求めるところが
芸能ニュース的な所、狭い視野で見える部分にあったりもする。
だからこそ為政者は、その対応のために政治で使うべき貴重な時間を削ってる、
という風にも考えられる。


そうだとしたらこの状況
為政者か、国民か、どっちがわるいんだろう。


どちらがわるいにしても
今から自分で変える事が出来るのは、自分自身の(主権を持ってるという)自覚だけしかなさそうだ。


ああいかにもな結論だけど
国民主権のこの国では実際それしか方法がないわけで
為政者と自分たちは別物で、あいつらがしっかりしないからだと重箱の隅をつつきまくっている
そんな今の考え方自体がしっかりできない為政者を生み出してるという矛盾につきあたってしまう。


なんだかまとまりきらなくなってきたけど
そんな事を考えさせてくれる本質的な中身の教科書っておもしろいというのでFA。


  • -

しかしオトナがつかう「××部長の政治的判断でまるくおさめちゃったよ」って、
まさに正しい語法だと今更ながらおどろく。