その5 家族を容れるハコ 家族を超えるハコ

随分間があいてしまったなあ。読書メモ。


社会学上野千鶴子さんの「住まい」「家族」といったことに関する
文章、対談をまとめたもの。


家族を容れるハコ 家族を超えるハコ

家族を容れるハコ 家族を超えるハコ



最近、戸建住宅を提案することが続き、家のあり方ひいてはそこにすむ家族とは
なんぞやということを考えてるとき出会った本。


さすがに社会学、範囲が広すぎてでてくる問題を全て
建築に結びつけ,そこに解決策を見つけるというのは難しいというのが率直な感想。
もちろん要因の一つとはなりうるけれど。


想定された平面計画(ここは寝る所といった住宅を使う上での機能的な決まりごと=規範)
どおりに実際の生活では使われていない、ということで、
規範をはずれた家族(現代の多くの家族)はここで規範を(隠れて)破らなければいけない、
という問題が提起される。


家族の構成、個人の理想、社会における家族や個人のあり方、
(具体的には少子化、高齢化、シングル、女性進出等々)
そういったものに現状のnLDKでは対応できない、ということ。
(nLDKとは(子どもの数+夫婦)×寝室と共用スペースからなる住宅形式)


お母さんとお父さんが同じ部屋で寝ることは今や当たり前でなく
お母さんにも自分のための個室が必要である。
それを邪魔する規範とは
「夫婦は仲良く同じ部屋で寝起きし、暮らす」というもの。
同じ部屋でないのは仲が悪い証拠なのだそうだ。



こういってしまえば身もフタもないが
果たしてそこに普遍解は必要なのだろうか?
というか存在することができるのか?


きっと上野さんは「家族」とかそれを規定する「住宅」といったものを
見直そうとしているんだと思うがほんとに住宅が
家族を規定してるんだろうか?
建築にそこまで「力」があるのか??


本の中では公営住宅がでてきており、脱nLDKの答えを導き出そうとしているが
必要なことはnLDKは否定すべきことではなく一つの選択肢という認識であり
次につなぐための大きな基礎だという認識だと思う。


僕の見方がミクロなのかもしれないがそういう社会学的な問題提起に対して
僕は個々の家族とそれに対応する建築家によって対応すればよいのだと思う。


山本理顕さんの提案している住宅であれ、特殊解なんじゃないのか。


対談で隈研吾さんもいっていたけど
ぼくらが提案しなければならないことは
使う人(の考え)に合った平面計画だけではなく
素材や立体的な空間のつながりや質もであり、それも同じくらい重要だと思う。


そこでは上野さんを始め、いろんな考え方をする人を理解し
その人に合った説明、提案がいかにできるかということが大切だ。
(そこに住み手自身の提案があってもぜんぜんかまわないと思う)


そして、その思考の中で「常識(規範)」にとらわれないこと。


この意味では上野さんは偉大な生き方をしていると思う。
(この本読んで一番感じた。この人、戦ってるわ。)


むかし美輪明宏が私が今自由に見えるのは常識と戦ってきたからだ

とのたまわれてた。見た目は。。だが生き方はカコイイのだ。



なんだかまとまらないなあ。
この本租借するにはまだまだ時間がかかりそう。



以下メモ


■「万古不易にみえる『家族』という現象も少し距離をおいて眺めれば変化のただなかにある」
■「空間の特定の配置に合わせて人間の生き方が造られる」
■1960年代は累積結婚率97% 現在30代前半の独身 男4割 女3割
■シングルを支えるインフラ(年金。雇用等)が整備されていない。シングルに対する罰則となっている
■建築家→空間を共有した人たちがコミュニティ 社会学者はそう考えない