その7 「住宅」という考え方
住宅を取り巻く社会的、建築的な問題点に対して
「あたらしい答え」を見つけ出そうとした、ここ100年の住宅が
構法を軸として列挙されている。
- 作者: 松村秀一
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1999/08/01
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
都市への人口集中の対策、戦後の軍事施設の平和利用、森林資源の保護、
誰でも買える安い家の実現、果ては工務店の営業方針といった種々の問題。
そんな20世紀の問題を解決してきた住宅とその考え方の
複雑な絡まりの中に今僕らが住んでる家や街がある。
大量迅速な戦後の住宅不足を解消するための住宅公団の標準設計、
イメージ商品として流通する安くないハウスメーカーのプレハブ住宅、
微妙に、しかし着実に変化を遂げている木造在来工法等々。
一昔前は当たり前でなかったものは、いまでは見すぎたくらいに
当たり前の風景になっている。
そしてそこには消極的にせよそれを受け入れてきた価値観の変化がある。
この本のようにざーっと歴史に沿って時代を俯瞰できる
本は考えること以上に知識の整理にも役立つ。
そして、一見進んだ考え方も実のところその根本は
結構昔にもうあったんやな、ということにも気づく。
温故知新。
(今のハウスメーカーの手法-メディアによるイメージ戦略、
資材の一貫生産、消費者の満足を満たすバリエーション
サービス等々-なんて1900年前半には出来上がっていた。
またドミノシステムとSI住宅の類似など。)
「来世紀の住宅像を描きだそうとする多くの世紀末の試み。
一見新しく映るそうした試みも、ふとわれに返ると過去の『住宅という考え方』
をなぞっているに過ぎないのかもしれない。
それほどに住宅についての20世紀の構想力は幅広く、多様に私たちの風景だけでなく
考え方自体をも覆い尽くしている。」
だそうな。
本家オランダでのハブラーケンさんの思想は実際どう運用されているのか
気になります。
以下雑メモ
量産
産業革命の人口集中は働くために住むという考え方を広げ、
住宅は悲惨な状況となる。
この悪環境を解決するため、未利用地を切り開き
そこに大量迅速な集合住宅の建設が行われる。
そしてそこには住み手が自ら住みかを作る能力など必要とされなかった。
(マスハウジング)
しかし、いったん住宅が行き渡るとその画一性に対し
「住み手も参加した住宅と街づくり」を目指すようになる。
ハブラーケンは住み手と住宅、コミュニティーと住宅の間に関係が
存在しなかったことがマスハウジングの欠点と指摘。
これを解決するのに前時代の状態に戻ることはできないので集合住宅に
サポートとインフィルという考え方を導入し回復策を提案。
(居住者の参加と無秩序状態の回避→意思決定に参加すべき人間の違いの秩序化)
批判されたマスハウジングと、現代の産業都市の発展、また都市インフラとは
密接な関係があった。
そのためサポートの上位に都市的な居住空間のあり方にかかわる
ティッシュという3つ目のレベルの提案。
・コルビュジエの可視化(近代5原則、ドミノシステム、300万人の都市)
「構造は壊れないようにするためだ、建築は感動を与えるためだ」
商品としての住宅
アメリカのレヴィットタウンは
戦後の住宅不足に対し自動車工場の要領で無駄なく大規模に戸建住宅を造った。
プランはたった二つ。徹底的な効率化。安価な住宅。
↓
しかし現在のこの町は居住者自身の増改築で多様化し、資産価値が上がり多くの
人々の間で流通し始める。
↓
規格住宅での可能性
(そこには、それを支えた産業(材料、サポート)と改造を可能にした余白の存在がある)
1955年の日本住宅公団設立に始まる
大都市の勤労者のための住宅供給
急務のため「標準化」という手法がとられた
・設計の目的の明確化
・反復生産から得られる反省を逐次フィードバックできる
・自動的な設計が可能なので余力を新たな開発に投入できる
同じく民間デベロッパーもマンションに着手(長谷工)
・品質の安定、コストの低減
企画型住宅
オイルショックに端をなすプレハブの低価格化の流れを実現するに当たりとられた手法
・セントラルクリーナーのある家、越屋根のある家
・コピーとイメージ戦略
商品化の基本は市場調査による消費者の生活様式を類型化して捕らえること。
1980年代末、ハウスメーカーの識別性を高める努力は
「まじめな商品開発」という形をとる。
しかしこのことが大量の商品を世に送り出すこととなり、
これをさらに識別させるための努力は広告に代表されるイメージ戦略に走り出すこととなる
商品という枠組みやそれに伴う方法論が見直されるべきである
標準化=画一化=悪という図式はただしいのか
かつての画一化マンションはいまでも多くの人の生活の場であり続ける
新建材(アルミサッシ、プリント合板)は明らかに日本の「在来」住宅をかえてしまう。
これはいくら能率がよくともこれまでの装いに住み手が執着したなら
広がらなかったもの。
ここに消極的にでもこれらを受け入れる住み手の価値観の変化があった。